読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

頬杖ついて考える

ちょっとした出来事から掘り下げて考えてみる

co-design 掲載の研究ノート

イノベーションにおける「文系」の有用性に関する基礎的検討」という研究ノートがco-design1号に掲載されました。

「文系の学問って結局何の役に立つの?」みたいな話に実証的に取り組んでみたという内容です。

ご関心のある方は下記リンクからどうぞ。

http://ir.library.osaka-u.ac.jp/dspace/handle/11094/60563

チョウイキジジョウでの記事掲載

http://www.cbi.osaka-u.ac.jp/choikijijo/article/report-yakushima/

屋久島研修のまとめです。ご関心のある方はどうぞ。

「文系学部卒男性がもたらす若年層の権威主義化」

平成28年度の仕事のひとつが活字化されたので、関心のある方ない方に向けてご紹介まで。

大阪大学リポジトリ: 文系学部卒男性がもたらす若年層の権威主義化

 

これまで、人文・社会系の学問は、既存の知の体系を疑うという特徴を有するということが論じられてきました(例えば、吉見俊哉『「文系学部廃止」の衝撃』(2016))。

 

私も「文系」の側の人間の1人として、こうした主張には感覚的には同意したく思います。

また、そうした思考方法、価値意識上の特性が、文系廃止論に対する「文系」の「有用性」であるような気もしています。

 

しかし、今回の論文で示されたのは、どちらかといえば、そうした主張に対する否定的な結果でした。

一言で言うと、「文系」の男性の間では、大学進学率の高まりによって、既存の秩序を疑う態度が徐々に失われるという傾向です。

 

もちろん、「文系」的な知の特性と、「文系」的な知を手に入れた人たちの特性を同一視することには、議論の飛躍が含まれています。

ただ、先ほどの文系廃止論の議論の俎上に載るのであれば、重要なのはやはり「文系」的な知を手に入れた人たちの特性の方なのではないでしょうか。

 

以上のような話については全く論文中で言及していませんが、見方によってはそんな風にもこの論文は読めるんじゃないかな、というところでこの記事を書いてみました。

恋愛結婚のゆくえ

それなりに久しぶりの更新。

タイトルは、「東京タラレバ娘」を見てて思いついたもの。

知っている人には今更ですが、近代は自由だからこそ生き方を選択できる時代、あるいは、自由だからこそ生きにくい時代。

親の職業を必ずしも継ぐ必要なないし、生まれたときの身分で身分が決まるわけでもない。でも、その一方で、職業や居住地、結婚相手を選ぶ難しさもあるわけで。

選べない不幸と選べる不幸、みたいな話です。

(もちろんこれは、ネガティブな側面に焦点を合わせたときのお話で、選ばなくても済む幸福と選べる幸福っていう話にもなりますけど笑)

 

ちなみに私は選べる不幸派なので、この曲でも載せておきます。

www.youtube.com

ではでは。

ねぷたの作り方

タイトルのまんまです。

急遽、海外で「ねぷた」を作ることになったのです。

 

高校で作った以来なので、制作方法を調べてみたところ、意外とネットに情報はあがっておらず。

そのなかで唯一、弘前ねぷた参加団体協議会さんが発行している『組ねぷたを見直そう』にたどり着くことができました。

ねぷたの歴史についてもまとめられているので、ねぷたの説明にも役立ちますね。

組ねぷた制作マニュアルの発行 – 弘前ねぷた参加団体協議会

 

以上、急ぎねぷたを作らなければならないが、マニュアルがなくて困っているという稀有な方へのお知らせでした。

競争と餃子

 今日の話はタイトルそのまんま、餃子と競争についてです。

 

さて、最近(でもないんですが)見つけたアプリで面白いなあというのがコレ。

「宇都宮餃子ナビ」

宇都宮餃子ナビ

宇都宮餃子ナビ

 

特に店は決めてないんだけど餃子食べに宇都宮きましたって方におススメです。

というアプリの宣伝が目的ではないです。

(ちなみに私のおススメのお店は、この"Hananoki@Plus"さん

https://tabelog.com/tochigi/A0901/A090101/9000978/

 

どういう経緯で開発されたのかは分かりませんが、外部からの餃子の需要を高めることで、宇都宮内部での餃子店間の競争で劣位に立った際のコストを引き下げる効果とかがあったら面白いですね。

(つまり、外部から多く集客できるようになることで、宇都宮の内部での店舗間競争に敗れたとしても、客足自体が伸びることで利益が底上げされているので、敗れたコストは致命的にはならないのかもしれないということです。)

 

こう考えると、宇都宮餃子ナビからは1つのモデルが導き出されるのかもしれません。

別に宇都宮に限らず、共通の「名物」をもっている土地は様々あります。

例えば、青森県弘前市のアップルパイとか(という宣伝)。

りんごの街のアップルパイ|公益社団法人 弘前観光コンベンション協会

店舗間の関係は競合他社の関係にあったとしても、宇都宮のようなIoTの事例で協働することで、エリア全体としての客足を伸ばせたら、競争の結果は企業の存続にダイレクトに響くことはないんじゃないでしょうか。

 

組織の存続という目的のための手段である競争をさせてしまうのではなく、クオリティの向上という目的のための手段として競争を位置づけ、組織の属する業界自体を潤すことで存続の要件を満たしてしまうというモデルは、その業界(あるいはこれまでの話なら観光地)にとっても、アリなのかもしれませんね。

電車

映画「君の名は。」の快進撃が続きますねー。
公開期間の長さに象徴的です。


さて、出だしで「君の名は。」を取り上げてはみましたが、今日の話と直接的な関係はあまりありません。(とはいいつつ、あとでちょこっとだけ言及しますが)

今日の話は電車。
特に、その位置付けについて。

皆さんにとって、電車って何でしょうか。
通勤・通学のツールという方から、趣味あるいは生きがいだという方まで千差万別でしょう。

しかし、私が最近思うのは、電車とは別れのシンボルなのではないかなぁということです。「なごり雪」なんかは、まさにその例でしょう。(この場合、「汽車」ですが笑)


明治以降続く、地方の悲願としての電車は、地方から都市部への人材パイプでした。高度経済成長を遂げようとする都市部へ「金の卵」を供給したのは紛れもなく電車でしょう。電車が別れのシンボルだというのは、地方あるいはその土地に残る人との別れという意味合いも歴史的に含んでいるのかもしれません。

電車が別れのシンボルたる理由は、以上のものに加えて、電車が本人の意図とは別に動き出してしまうことにもあるでしょう。

例えば、先ほどの「なごり雪」が汽車ではなく車によるストーリーだったとしたらどうでしょう。「なごり雪」が「なごり雪」の情景を可能にするのは、男女の意図に反して汽車が出発することで生じる別れだともいえます。しかし、彼らの意図に反して動き出す人工物としての汽車ではなく、彼らの意思でもって動き始める車であったなら、「なごり雪」は「なごり雪」でなくなってしまうでしょう。むしろその場合、沢田研二の「サムライ」のように、個人の内部での葛藤(男女でその場に留まるか、片方が去るか)をどう越えていくかということが歌の前面に出てしまうかもしれません。


このような意味での電車のもつ不可抗力性があるからこそ、とある映画で別々に電車に乗った男女が、電車のすれ違いざまに互いの存在に気づき、電車を降りてお互いを探し、出会うまでの感動があるのかもしれません。なぜなら、それは不可抗力性を克服した物語としても認識できるからです。

電車に限らず、不可抗力な別れを告げさせる人工物は溢れています。例えば、船とかバスとか。しかし、これほどにも歌詞や映画に別れをもたらす存在として電車(あるいは汽車)が持ち出されることを考えると、(開発の)歴史的な流れでもって理解するのもそれなりに正当な気はします。

意外とこのあたり、国際比較とかしてみると、経済的な発展や地理条件なんかによる違いが見えてきたりして面白いかもしれないですね。

それじゃ、久々の更新はこの辺で。