頬杖ついて考える

ちょっとした出来事から掘り下げて考えてみる

「少年よ、大志を抱け」るのか?

 

Boys, be ambitious.

 

札幌農学校1期生との別れの際に、北海道札幌郡月寒村島松駅逓所(現在の北広島市島松)でクラークが発したとされるクラークの言葉」(wikiより引用)なんですって。

 

クラークは「お雇い外国人」として1876年に札幌農学校に着任して、翌年去るわけですから、この言葉はおそらく1877年のものなわけです。

 

さて、北の大地でクラークが啓蒙を唱えていた頃、その下のお江戸で啓蒙を唱えていた人物がいました。

 

「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずといへり」...福澤諭吉

 

学問のすすめ』の出版が、「1872年(明治5年2月)初編出版。以降、1876年(明治9年11月25日)十七編出版を以って一応の完成をみた。その後1880年(明治13年)に「合本學問之勸序」という前書きを加え、一冊の本に合本された」(wikiより引用)とのことなので、同じ頃に日本の上端と真ん中で啓蒙を唱えていたわけです。

 

(因みに、このフレーズを啓蒙として扱うのは、修学による立身出世を謳っているから。「いへり」の部分が「~と言われている」という意味なので、「まぁ実際は天のもとでも平等じゃないけどね」という現実をあらわしており、だからこそ学問が重要になるという意味だという面白い解釈もありますが(神林博史,2014,「主観のなかの社会階層」『社会意識からみた日本』)。如何せん、学問推しの福澤さんなのであります。)

 

クラークのフレーズと福澤のフレーズが同じ1870年代だったというのは、やや意外な気がしますが、どちらのフレーズも当時の興国意識を背景にもっていると考えれば、スムーズに理解できそうです。

  

さて、以前どこかで

「実はこの言葉には『in christ』が続くから、きわめて宗教色が強い言葉なんだ」

なんてことを小耳に挟んだことがありました。

 

そんなわけで、あの有名なフレーズには「in christ」が続くのだと信じきっていた私ですが、記事を書く手前「Boys, be ambitious 」についてググってそこで驚きました。

 

後に続くフレーズは他にもある(笑)

 

「god」やら 「old man」やら。

何が正確なクラークの引用なのかは分かりませんが、本家本元の北海道大学がこのフレーズについてまとめているようなので、興味のある方はそちらをご覧ください。

www.lib.hokudai.ac.jp

 

閑話休題

 

さて、私が今日ここで書きたかったのはクラークのいう「大志」について。

こんな長い前置きをしてしまっているので、結論だけさっぱりと。

 

少年は大志を抱けないのではないか、と。

 

ところで、クラークがこの啓蒙的なメッセージを発した1870年代における「大志」とはなんだったのでしょうか?

 

この問いに答えるためのヒントは2つあります。

 

1つは、このメッセージの受け手です。

 

まず、「Boys, be ambitious 」の受け手は札幌農学校の学生です。

札幌農学校は「日本で初めて卒業生に学士号(農学士)を授与した教育機関である。学士授与機関としては旧東京大学より約1年早く設立されたため、北海道大学では札幌農学校を日本初の学士の学位を授与する近代的大学として位置づけている」(wikiより引用)。

単純に現在の北海道大学の前身が札幌農学校であることを考えても、そこがエリートの集まる場所だったことは想像に難くないでしょう。Boys, be ambitious は学歴エリートに向けられた言葉だということが1つ目のヒントから得られる答えです。

 

2つ目のヒントは、クラークは「例えば農学校の開校式の演説でも,学生たちに向って『相応の資産と不朽の名声と且又最高の栄誉と 責任を有する地位』に到達することをよびかけている」(先ほど紹介した北海道大学附属図書館のページから引用)ということです。

 

このヒントはほぼ答えのようなものですが、ポイントは「地位」と「到達」というキーワードにあります。クラークは、階層の上昇移動・社会的威信の高い立場の獲得を要請していたのです。

 

この2つのヒントから得られた答えを総合すると、クラークの示す「大志」とは、学歴エリートによる階層の上昇移動と社会的威信の高い立場の獲得を意味していたと考えられます。

 

1886年帝国大学令によって高等教育制度が整備され始め、子が親の学歴を上回る傾向(学歴階層の上昇移動)がその後1960年代まで続くわけですが、この年表にクラークのメッセージ(1887年)を当てはめてみると、クラークのメッセージはなかなか的を得ていたことが分かります。クラークの「大志」の要点である学歴階層の上昇移動は、その後70年ほど続くので、事実、上昇移動は「大志」たりえたわけです。

 

しかし、1970年代に入ると、子が親の学歴を越すことができないという状況が生じてきます。つまり、学歴階層の上昇移動という「大志」を抱くことを可能にしていた社会構造が変化し、「大志」に引導が渡されはじめるわけです。

 

どこまでも学歴階層が上昇移動すればそれでよいかというと、そういうことではありませんが、少なくとも事実についての判断と言う意味では、学歴階層の上昇移動は難しくなってきているのです。

 

つまり、「少年は、学歴階層の上昇移動という大志を抱けない」というわけです。

 

追記

 

はじめ、「高学歴社会の高校生は階層移動の夢を見るか」というタイトルにしようかと考えていました。

 

最近やたらパロったタイトルを聞く、フィリップ・K・ディックアンドロイドは電気羊の夢を見るか?』に私もあやかってみようかと。

 

でも分かりにくいんでやめました。